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2007年10月 6日 (土)

国家の品格

沢山の「品格本」が書店に並んでいる。最近は「女性の品格」という本がベストセラーになっているようだ。

今更ではあるけれど、これらの「品格本」ブーム(?)のきっかけを作る事になった昨年のベストセラー『国家の品格』を読んだ。

そもそも、この本を読んでみようと思ったきっかけは、たまたま見たTV番組の中で仰っていた、この方の教育論にとっても頷ける部分があったから。
もっと聞いてみたい、と思った。
この人、誰だっけ?と思った。

『国家の品格』の筆者(藤原正彦さん)だということがわかり、じゃあ、その本から読んでみるか、という事になったのだった。

どういう本か?というと・・・。

この本の内容紹介文を貼り付けてみよう。

日本は世界で唯一の「情緒と形の文明」である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は、この誇るべき「国柄」を長らく忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの「改革」では、社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。

こうやって読んでみると、何だかとっても難しい内容のように思えるけれど、そんな事は全然ない。
講演で語られた内容を本にまとめたものなので、堅苦しくなく、またストレートな言い方をされていて(それ故に批判も多いらしいけど・・・)、とても読みやすく面白かった。

『日本は、世界に誇れる伝統文化や芸術がたくさんあるすばらしい国なのだ』 ということを改めて気づかせてくれる本だと思う。

しかし、私が面白かったと感じたのはそういう理由だけではない。

一般の世の中の論理には、(中略)絶対に正しいことは存在しないし、絶対的な間違いも存在しない。真っ黒も真っ白も存在しない。(中略)すべては灰色で、そこに濃淡があるだけです。

そうそう、これだ。(笑)

この文を読んで以降、書いてある内容をDESTINYのストーリーに当てはめて考えてしまう私。そして、これが結構楽しかった。不思議な事に、最後までそんな事を考えながら読んでも、それなりに問題なく(?)読み進められちゃったのだ。

例えば、

いま自由を否定する人は世界中にいないでしょう。私は「自由という言葉は不要」と思っています。控えめに言っても、「自由」は積極的に賞揚すべき概念ではありません。日本の中世においては、自由というのはしばしば「身勝手」と同じ意味で使われていました。(中略)しかし結局、自由の強調は「身勝手の助長」にしかつながらなかった、と言えるのではないでしょうか。

あ~、これキラ?

「自由とは面倒なものである。始終あれこれ自分で考え、多くの選択肢の中からひとつを選ぶという作業をしなければならないからである。これが嵩ずると次第に誰かに物事を決めてもらいたくなる。これが独裁者につながる。」ヒットラーは独走したというより、国民をうまく煽動して、その圧倒的支持のもとに行動したのです。民主主義、すなわち主権在民を見事に手玉にとった、希有の手品師でした。

これ、偽ラクスを利用した議長?


という感じで。

藤原さんは、この本の中で「情緒と形」が大切だということを力説されている。
そして、こう述べられている。

美しい情緒と形には世界に通用する普遍性があるのです。(中略)
美しい情緒は「戦争をなくす手段」になるということです。   論理や合理だけでは戦争をとめることはできません。(中略)日本人の持っているこの美しい情緒や形が、戦争を阻止する有力な手だてとなります。 

わ~!!もしかして、アスランが掴んだものも、この類のものだよね!?

そして、さらにはこういうことも。

国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。国をつぶし、ことによったら地球まで潰してしまう。それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれなんであれ、国家には絶対必要という事です。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。

そして、この「真のエリート」としての条件が2つ挙げられている。
①庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力をもっている。
②「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概がある。

フムフム、なるほど。アスカガの二人は、②については申し分なく満たしてるじゃん。後の課題は、①ってことだな。
よし頑張れアスカガ!!劇場版ではラクス様を上回る大局観を身につけるのだ!!

…なんて、こんなアホな事を考えながら読んだ。

本来の著者の主張を無茶苦茶捻じ曲げてしまっているかもしれない。でも、おかげで読み進めるのがとっても楽しかった。   この本の内容については、私のこの書き様では、何のことやらほとんど分からないと思う。( ̄△ ̄;)
しかも『DESTINY』にこじつけて読むとこうなった、という私の独断と偏見に満ちたレビューなので、皆様くれぐれも鵜呑みにされませんように。
もし、ご興味を持たれた方がいらっしゃったならば(いるのか?)、是非ご一読頂き、内容については自分でお確かめください。   m(_ _)m

国家の品格 (新潮新書) Book 国家の品格 (新潮新書)

著者:藤原 正彦
販売元:新潮社
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コメント

 私は、あの本については肯定しかねますね。というのもエリートというのが間違っていると思うから。たぶん、エリートは必要ないと思っています。国民は成熟しないなんて思っていると、それがヒトラーを作りますよ。ヒトラーが生まれてきた過程はエーリッヒ・フロムの自由からの逃走あたりを見た方がいいと思います。はっきり言えば、国家の品格の主張は人間を愚弄しているように思うから。
 だって、その人間がどうであるかは結果を見なければわからないので。従って、ベターを尽くしていくんです。というのも一人の認識能力には一定の限界があるので。人生塞翁が馬といいますが、最後になるまで結論は出せないんですよ。デュランダルの結論を誰も知っていなかったからこそ、あの世界はとんでもない方向に走って行ってしまったわけで。
 サイードの「戦争とプロパガンダ」この辺は見といた方がいいですよ。あと、「戦争広告代理店」あたりですね。

投稿: G.O.R.N | 2007年10月 7日 (日) 00時40分

 実のところ、この本は矛盾しているのです。真のエリートといいますが、図らずもこの本自身が言うとおりこの世は白黒つけがたいのでエリートに見える人間も正しいかどうかはわからないのです。あくまで、ある程度の考察ができるのは結果が出てからです。
 そして何より、この本がまずいのは日本を過剰に特別視していることです。恐らく、世界を探せば自国を過剰に特別視している本などいくらでも見つかることでしょう。そして、それはまさに平地に乱を起こしえるはずです。
 そして、自由に対する考察もこの本に関するだけでは薄っぺらいです。自由はもともと、英語の freedom および liberty に由来すると考えられますが、この二つの単語は微妙に違います。
 freedom は拘束がないことに起因し、消極的な自由をさしますが、liberty はラテン語のリベルタスから出ており、選択や行動の自由が保障された状態、つまり積極的自由を指すのです。
 さらに、自由という漢字表記は自に由るという意味の仏教用語に由来し無我や自己責任という意味合いがあります。それをいきなり勝手気ままにつなげてしまうのはいかがなものかということです。
 そして、エリートに見える人間でも間違いを犯すのは自明です。SEED DESTINY の作中上でもデュランダルは言うに及ばず、ラクスやカガリも明らかな過ちを犯しています。
 ラクスは序盤において、積極的な行動をとらずデュランダルにフリーハンドを与えすぎました。カガリはカガリできちんとした方向を定めず、オーブの行動を連合よりにした勢力の暴走を止められませんでした。結果的に、ミーア・トダカの死という高い代償を払うこととなりました。
 しかし、ではどうするかそれも明らかなのです。道を、間違えたらまたやり直すしか方法はないのですよ。もちろん、元に戻らないことは多い、取り返しのつかないことは多いです。それでも、やり直すしかない。
 そして、それが怖いからとエリートなるものに託してそれっきりは、あまりに無責任です。民衆は間違う、エリートもまた間違うかもしれない。それでも、選択を迫られる。

投稿: G.O.R.N | 2007年10月 7日 (日) 20時43分

G.O.R.Nさん
こんばんは。
G.O.R.Nさんからコメントいただいて、この本には賛否両論があると言われているのがなんとなく分かったような気がします。

この本は、思いっきり断定した言い方をしているところもあるし、他の書籍に比べて読み手に与えるインパクトがかなり強いんでしょうね。だから不愉快に感じる方もいらっしゃるんだと思います。
でも、私の場合は、この方の仰る事はとってもよくわかるなと思いながら、この本を読ませていただきました。
今回は、私とG.O.R.Nさんでは視点が全然違っているので、私の見解もG.O.R.Nさんとはまったく違うものになっていると思います。

この方は、モラルの低下をはじめとする日本の現状を嘆いておられるんだろうと思うんです。

子供や女性は安心して一人で道を歩くことが出来なくなった。マナーの悪い人を注意したり、万引きを捕まえようとすれば、逆に自分の命が危ない。訴訟の数は増え、隣人とのトラブルで刑事事件に発展する。
今起こっているもろもろの問題。その原因の一つとして感じる事。
「国民のレベルが下がっている。」
皆さん、この状況をどうにかしましょうよ。…と言いたいんだと思うんです。
その事を、真正面から批判するのではなく、少し切り口を変え、皮肉を交えて訴えているのだと思います。

だから、この本で述べられていることは一般論ではなく、日本の現状に対して筆者が思っている(憂えている)ことを前提にしている(あるものに限定される)のではないかと思うのです。

自由とは責任を伴うものである。私もそう思います。でも、今、自由を身勝手とはき違えている人がとても多い。やりたい放題、自分第一、他の人のことなんかお構いなし。だから、それを自由と呼ぶのなら、自由なんかいらないのではないか、と言いたいのではないでしょうか。ここで述べられている「自由」とは一般論ではなく、問題行動を起こしていると思われる日本人が思っている「自由」=「身勝手」なのではないかと思います。もしくは、日本人全体の身勝手度が高くなっていると言いたいのではないかと思います。

「国民は永遠に成熟しない」なんてことを言われたら、普通は誰だって、ちょっと待てよ!!と言いたくなるものです。ですから、G.O.R.Nさんの仰る事も分かります。断定するのはまずいんでしょう。
でも、これも日本人の現状を見ての批判(皮肉)なのだと思うのです。はたして江戸時代と比べてどれだけ成熟したと言うのだ。かえって悪くはなっていないか?と言いたいのではないでしょうか。
私は江戸時代のことは知りませんが、20年前と比べて成熟してるか?と問われたら、ヤバくない?と答えそうです。

エリートについても、今この本自体が手元になく(借り物でした)確認できないので分からないのですが、「エリートは間違わない」とは言っていないのではないでしょうか。
「エリートは間違えるor間違えない」、ということではなく
この方の考える真のエリートがいないという現状を嘆いているのだと思います。
名前こそ出してはないけれど、法律に触れなければ何をやってもいいのかという、ホリエモンに対する批判や、私利私欲に走る政治家や官僚への批判なのだと思います。
ですから、結果的にはこの方も、今、間違った方向にむかっていると思っているのかもしれません。

>この本がまずいのは日本を過剰に特別視していることです。
>道を、間違えたらまたやり直すしか方法はないのですよ。

そのやり直す方法として、自国の文化や伝統を見なおそうと言っているのではないかと思います。

地球環境が危機に直面している現在、西洋的な考えである自然を征服をする事によって発展してきたやり方、また、目的のために他のものを切り捨てるというやり方(発展のためには環境破壊もやむなし)だけでは先にすすめなくなってきている。
これからは、自然との共存、人間も自然の一部であるという東洋的な考えも取り入れてやっていかなければならない。
日本人は自然に対する畏敬の念を元々持ち合わせた、そういう事が出来るすばらしい民族なのです。だから、欧米の真似ばかりしなくてもよいのです。もっと自信をちましょう。元々持ってる「情緒や形」で今の状況をよくする事が出来る。私たちはそれだけの力があるのだから頑張りましょう。国家の品格を取り戻しましょう。
…という感じの事が言いたいのではないだろうか、と思いながら読んだのですよね。(私の勝手な解釈ですが)

まあ、確かにかなり強引な言い分には違いないのでしょうけどね。(笑)
その分人目を引いて、ベストセラーになり、多くの人に訴える事が出来たのであれば、(賛否両論あるとしても)この方の作戦勝ちという事になるのではないでしょうか。

投稿: カノン | 2007年10月13日 (土) 23時30分

 モラルが後退したというところも少々、怪しいと考えているのです。実際、政府の出す"犯罪白書"などの統計資料を見るに特に治安が悪化したという推定は出てこないのです。特に性犯罪は 1960 年代の方が多いです。
 私はむしろ、こういう仮定の方がよくはないかなと思います。1960 年代当時と比べて明らかに変わったのは地方経済が崩壊し、都市部に以前と比較しても多量の人間がなだれ込んでいることでしょう。
 地方は最低限のシステムを回す人員も不足しています。結果的に商店街から店は消え、増えるのはシャッター商店街ばかりです。逆に都市部はよそ者の寄せ集めになるのでストレス要因が増えます。
 で、ストレスというのは交感神経系を優位にします。英語では "Fight and Fight" と書かれ、日本語では"闘争と逃走の神経" と書かれるように過剰な緊張感をもたらします。地方においても生活に必要なリソースがないというのは別のところでストレスを増やします。
 元々、外敵にさらされた時にその個体を守るためのシステムですから。長期的な判断で冷静にとはなりにくくなるはずです。アドレナリンもじゃんじゃん分泌されていますからね。自ずと攻撃的になっても不自然ではないです。
 ただし、誤解を招くと困るのですが。ストレス=悪ではないです。交感神経系も適度に働かないと人体は機能失調に追い込まれます。交感神経系が働かないとその反対である副交感神経系の癒しもうまく機能しないのです。だから、人間はゲーム等で人為的に作られたストレス源を摂取するのではないかなと私は考えています。
 あと、国家の品格は些か多くの間違いを含んでいます。たとえば、自由思想の中でジョン・ロックをやり玉に挙げていますが。実際問題、自由主義思想の中で神の見えざる手を持ち出すのは経済学者のアダム・スミスです。
 ジョン・ロックは所謂、王権神授説つまり、王権は神から委ねられたものという思想など、王権と闘うために自由を唱えたに留まります。元々"国家の品格"の著者は数学者であるからなのかこの辺の政治思想史の押さえ方は甘く、不勉強なところがあります。また、読む側もそういった勉強の少ない方が大勢なので、こういった基本的な誤りも気付かない方が多いです。
 「神の見えざる手」もきちんと理解されていないように見えます。これは、別に神様がどうにかしてくれるという話ではないので。要するに個別の利害の衝突が最終的に全体の利益を最大化する方向に向かうということを言っているので。
 もっとも、「神の見えざる手」がきちんと必ず機能するわけではないという批判はあり。これが、1929 年の世界恐慌などを経てケインズ主義を導いていきます。

投稿: G.O.R.N | 2007年11月 7日 (水) 14時51分

G.O.R.N さん
こんにちは。
お返事が大変遅くなってしまい、すいませんでした。
>格差とストレス
そうなんですよね。
他の方の著書でも、都市化によるストレスがトラブルの原因ではないかと言われていたように思います。
そして、この格差ですが、私は、もしかしたら大都市と地方との格差だけでなく、教育の格差に重大な問題があるのではないかと最近思っているのです。(詳しい事はまだ勉強中ですけど…。)

アダム・スミスの神の見えざる手については、たしか別の著作でも触れてありましたが、間違った解釈はされていなかったのではないかと思いますよ。

今のこの国の状態については、色々な事が複合してこうなっているのでしょうから、こうだ!と断言できるものではないのだとは思います。
だから、ああいう強引な言い方をする事によって、世間からどう評価されるのかも、多分、分かった上で言っているのだと思うのです。
「私の言っている事は正しい。しかし、私の妻は私の言っている事の半分は間違いで半分は思い込みだと言う。」と言っていますからね。

それでも、私の言っている事は正しいと言いきってしまえるのは、(自分の性格だとも言ってますけど)長年の自身の経験に基づいた持論だからだと思うのです。
誰でも体験から得たものは、他人から否定されても信用されなくても、自信があるし断言出来る(例え思い込みだと言われようとも)。そういうことだと思うのです。

私にも今までの経験から同じように共感できる所があるので、そういう部分についてはおおいに頷きながら読みましたし、不勉強でよく分からない所については、基本的にスルーです。
鵜呑みにして信じてしまうというよりも、興味のある部分、共感した部分以外は、もう脳みそが柔らかくないので忘れてしまいます。(苦笑)
今回、本を読んでも感じたのですが、コメント頂いたことによっても、不勉強で知らなかったりすっかり忘れてしまっていたりする部分が沢山あることを再認識しました。
だから、今、ホントに勉強しなくちゃな~と思っています。


投稿: カノン | 2007年11月14日 (水) 16時09分

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